No.128 日本人は体臭に不寛容!?

体臭改善
体臭改善PATM(パトム)周囲の反応や感じ方自己臭恐怖症
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強い右寄り思想(つまり保守的発想ということですね)の人たちは、病気への恐怖や衛生面での懸念に心を揺さぶられやすく、極端に排他的な衝動を持ち、その衝動に突き動かされてしまう可能性がある、という旨の研究論文が発表されました。

イヤ、その研究論文を読んだわけではなく、そういうニュースをネットで見かけた、ということなんですが…言い訳ですけど、体臭に関わる研究論文すべてに目を通したい気持ちはありますが…ナカナカ時間が取れません、私。という訳でYAHOOニュースでの聞き齧りですが…思い当たる節があるので、私なりにこの件について解説していきたいと思います。

他人の体臭に対する嫌悪感

この論文は英国王立協会の科学誌に掲載されたそうです…

かの研究チーム、何故、その様に考えたか、ということの根拠となるデータというのが、ある実験での結果。参加者160人に「体臭に関する嫌悪度を5段階で評価してもらう」数値と「権威的な指導者を肯定的に感じる度合い」とを比較したところ、「嫌悪度が1段階上がると権威主義的な指導者を肯定的に感じる度合いが7.5ポイント上昇した」という結果が出た。コレを以て、研究チームは「関連性が見られる」と結論付けたそうです。

「体臭」というのは「他人の体臭」ということだろうし、「権威的な指導者を肯定的に感じる」即ち、「権威的な思想を持つ」という事だと、私は考えました。

権威的指導者は、例えば「同じ場所を共有している異なる集団」を弾圧し、「特定の場所に押し込めて出てこなくさせる」ことが出来る。例えば、ナチスが行ったユダヤ人の強制収容や虐殺には「異なる集団同士の接触が減り、少なくとも理論的には病気になる確率が減少する」という意識が根底にある、と研究者は説明しています。

補足として「口臭や体臭と言った強い臭気は隠れた病気を示している場合があり、それを人々は無意識のうちに避けようとしている可能性がある」としています。更に「こういった無意識の行動があったからこそ、人の祖先は危険や伝染性のあるものを避けることが出来て、結果、他人の体臭に対する嫌悪感は人が生き延びる確率を延ばすために進化した感情」とのたまわってます。

島国日本では?

さて、これはあくまで欧米のお話。島国育ちの日本人の私たちに関連が無いか?

私が強く思うことは、「他人の体臭に対する不寛容」の度合いは、日本ほど強い国はないのではないか? ということ。もちろん無臭であれば、それはそれで良いのだけれど、単純な「ニオイ」ということでの「体臭」は、一つの個性だと思います。

しかし、現代日本では、その「個性」は「異端」とか「排除すべき対象」と考えられ、その傾向は年を追うごとに先鋭化しています。

もし、現代日本ほど清潔・無臭に先鋭的でない背景であれば、不寛容な人の比率も今ほど高くはない筈。これは大手ライフケアメーカーの策略(なんて言い方は失礼だけれども、そういう方向に暗に世論を導いているのは事実)、そして功罪と言えるでしょう。

不寛容な人が社会的イニシアティブを取る

そして、そういう他人の体臭に不寛容な人の方が立場が強いし、発言力が強くなってしまう現状。まさに不寛容な人は、権威(或いは自分にとっての快適な状態を主張する権利)を振りかざしていると言えます。ただでさえ自分自身の体臭を気にして委縮している私たち(もちろん私も含めてです。私も年には勝てず、加齢臭が悩みの一つ)を平気で攻撃してきます。これを権威主義と呼ばずして、何と呼ぶ? イヤ、他の言い方はいくらでもありそうですね、ハハッ)

他人の体臭をあげつらう人が実はニオったり、なんてことも

体臭のない人は存在しません。誰にでも体臭はあります。ガスクロデータを見れば、どれだけ「無臭」を主張する人だって、10や20の臭気物質は検出されるし、びっくりするほどの分泌量が隠されているモノです。それなのに攻め立てる人々は、さも「自分は全くニオイ無いっす」とのたまいながら、他人の体臭をあげつらう…

気にしない事、と口で言うのは簡単で、それが慰めや励ましにならないことは分かっています。私以上にそのことをわかっている人間はいないでしょう。けれど敢えて言います。誰でも体臭はあるモノです。

そして、その体臭は改善する事が出来ます。PATMだって、刺激感物質の分泌をゼロにすることは出来なくても、減らす方法はあります。こんな現代日本に生まれたことを辛く思うのではなく、「不寛容」な他人の「寛容レベル」に落ち着くまでは、頑張って改善を目指しましょう。

なんだか、まとまりのない話になってしまいましたが、今日はここまで。

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